原稿にどんな赤字を加えるか
今回は、編集プロダクションらしく、原稿に対する「赤字修正の加え方」について書かせていただきます。
執筆者から原稿が入ると、当然のことながら、編集者は「編集」をします。「編集」とは、単に文字のフォントを指定したり、レイアウトを整えたり、表記の統一をしたりするだけではありません。必要に応じて、読者が読みやすいよう文章に赤字修正を加える、それも編集者にとって大切な仕事の一つです。
でも、実際にこの作業を進めるとなると、一筋縄ではいきません。例えば、原稿の中に明らかな「誤字」があったとします。その場合、多くの編集者は何の迷いもなく、原稿に赤字修正を加えることでしょう。「ブリント→プリント」「好調先生→校長先生」「彼に訪ねる→彼に尋ねる・彼を訪ねる」といった具合です。
でも、「分かりにくい表現」があった場合はどうでしょうか。例えば「大きな青い線が入った紙」という文章があったとします。これでは「大きい」のが「線」なのか「紙」なのかが曖昧ですし、文のリズムも良くありません。これを「青い線が入った大きな紙」と直せば、文は途端にスムーズで分かりやすいものになります。
とは言え、「表現」を修正する作業は、いつもこのようにピタリと来るものではありません。時には、直すべきか直さないべきか、迷う文章表現もあります。悩んだ挙句に修正してみたら「書き手の意図と異なる意味になってしまった」というケースもありますし、形容詞を差し替えたら「書き手が嫌いな表現だった」なんてこともあります。さらに、読点(、)の入れ方、改行のタイミングなどは、最も頻繁に編集者が頭を悩ませるところでしょう。
赤字修正をめぐっては、編集者と書き手の間でトラブルと化すケースも珍しくありません。では、トラブルを起こさないための「正しい赤字修正の方法」とは、どのようなものでしょうか。結論から言えば、赤字修正にはこれといった定石もマニュアルも正解もありません。出版社によって、あるいは編集者によって、必要最低限の修正しか入れない人もいれば、自分の好みに染めてしまうほど細かく修正する人もあります。すなわち、赤字修正の方法は、編集者や出版社ごとに、異なるルールを持っているのです。
ただし、各々のルールには、一貫性がないといけません。その都度、気まぐれな赤字を入れられたのでは、書き手だって気分がよくないでしょう。
私自身、一編集者として、赤字修正のやり方について、あるポリシーを持っています。それは、執筆者のことをよく理解し、きちんとした信頼関係を築いた上で、修正を入れるということです。信頼と理解が無い状況で、編集者が自分勝手な赤字を入れれば、執筆者の意図に沿わず、トラブルを招くことになり兼ねないと、私は考えます。
こんな話があります。作家の吉村昭氏が、執筆した原稿の中に「妻は返事もせずに出て行った」という表現がありました。物語の鍵を握る重要な一場面です。それを読んだ編集者が、吉村氏にこう打診しました。
「『も』を『を』に変えてみてはどうか」
つまり、「妻は返事をせずに出て行った」にしてみてはどうかとの打診です。吉村氏は悩みました。でも、最終的に編集者の案を採用し、後々には「小説全体が良くなった」と振り返っています。
その編集者は、吉村氏と長年の付き合いがあり、彼の作品を一通り読み、彼の性格、価値観、人生観などを何よりも理解していたとのことです。そして、小説の前後関係、登場人物の素性や心理を細かく把握し、たった一文字の、しかし決定的な赤字修正を入れたのです。彼がそんな赤字を入れられたのは、吉村氏との長年の信頼関係があったからに他なりません。
この話は、少々レベルの高いエピソードです。でも、基本的な考え方は同じです。形容詞の差し替え、読点の追加、改行位置の変更など、すべては信頼と理解をベースに「編集」されてこそ、良い作品は生まれるのです。
原稿にどの程度の赤字修正を加えられるか――それは、編集者と執筆者の信頼関係に比例するのだと、私は考えます。
〔2003.8.1 弊社代表・佐藤明彦〕