「事実」と「真実」の境目

 数ヶ月ほど前、とある政治家の「失言」が、テレビや新聞で大きく取り上げられました。
 「集団レイプをする人は、まだ元気があるから良い。正常に近いのではないか……」
 覚えている方も多いと思いますが、自民党代議士・太田誠一氏によるいわゆる「レイプ発言」です。この発言は、先の集団レイプ事件を容認したものと捉えられ、各方面から集中砲火を浴びました。多くの人達が、ニュースやワイドショーで太田氏が発言する姿を繰り返し目撃し、その度に「何てことを言うのだ」と呆れ返ったものです。
 太田氏の発言は、文面をそのまま読み取れば、極めて非常識なものに違いありません。何故そんな事を言ったのか、理解に苦しむ人も多いでしょう。
 でも、私たちはこの発言について、マスコミが仕掛けた「トリック」を見逃してはいけません。
 思い出していただきたいのですが、テレビでは太田氏の発言部分だけが何度も放送され、その前後の状況はほとんど映されませんでした。新聞も、発言の一部分だけを強調し、どんな流れの中で発言したのか、詳しい説明をしたものはありませんでした。すなわち、太田氏が『レイプする人は元気があって正常』と発言した事実だけがクローズアップされ、どんな文脈の中で発言したのか、きちんと捉えた上で批判したメディアは、ほとんど無かったのです。
 太田氏の発言は、鹿児島市内で行われたとある討論会(シンポジウム形式)で出されたものでした。テーマは「少子化」です。討論会には、太田氏の他にも数人の議員がパネリストとして参加し、ジャーナリストの田原総一郎氏が司会を務めていました。
 討論会の中盤、「なぜ未婚率の上昇や少子化が進んでいるのか」に話題が及ぶと、パネリストからは、「最近の日本男性の消極性」について言及がありました。好きな人がいるのに積極的になれない、自分の意志を伝えることができない、そんな男性の姿勢が少子化の一因となっているとの発言が相次ぎました。そんな中、太田氏は「プロポーズする勇気の無い人が増えている」と、日本の男性の受動的な姿勢に苦言を呈したのです。すると、司会の田原氏からこんな質問が投げかけられました。
 「プロポーズできないからレイプするんですか」
 先の大学生らによる「集団レイプ事件」を引き合いに出した、ちょっとしたジョークです。太田氏は、日本男性の元気の無さを強調したかったのでしょう。思わず「レイプする人は、まだ元気があって良い」と、振られたジョークを投げ返してしまいました。
 私は太田氏がどのような政治家なのか知りませんし、彼を擁護するつもりもありません。そう断った上で指摘したいのは、発言自体は、「文脈」の中で出された性質の悪い冗談、日本男性の消極性を強調するための挿話に過ぎず、さほど悪質なモノではなかったということです。もし、悪意に満ちた発言であれば、会場の雰囲気も凍り付いていたはずでしょう。
 にも関わらず、この発言をマスコミが大々的に問題視したのは、何故でしょうか。それは、政治家の「失言」がメディアの人気商品になっているからに他なりません。こんなバカ発言する政治家が日本をダメにしている――多くの人が「悪者」を作ることで、不況から脱しきれない不安定な日常に安堵感を求めています。そして、そんな需要に応えるべく、テレビや新聞が太田氏の発言を「切売り」し、大きな反響・賛意を得たのです。
 ただし、政治家たる人は、メディアが「失言」を待ち構えていることを計算に入れておく必要があるのも事実でしょう。その点、太田氏の発言について聞かれ「批判されるのは当然。強姦は許されない卑劣な行為」と、深入りせずに切り捨てた小泉首相は、実に老獪だったと思います。

 情報は「切り口」を変えるだけで、虚妄の事実を作り上げることができます。それは、私たちの身近な所でも同じです。愛情を込めて「あの人はバカだからね。」と言った発言さえ、人から人へと伝わるうちに、他人を中傷する「悪口」にすり替えられてしまう可能性があるのです。
 大切なのは、物事の前後関係を理解することです。断片的な「事実」だけを捉えても、それは「事実」を理解したことにはなりません。私たちマスコミ関係者は、そうした「文脈」を常に意識しながら、正しい「事実」を伝えていく必要があるのです。

〔2003.9.1 弊社代表・佐藤明彦〕