「聞く」ことの大切さ
このコラムを書き始めて約1年になりますが、しばしば知り合いや取引先の方から、「耳が痛い」「自分のことを批判されているよう」といった感想をいただきます。誤解の無いように申し上げておきますが、このコラムは私が取引関係にある特定の企業や人を批判するものではありません。単なる一般論として、編集プロダクションや編集者、メディアがどうあるべきかを論じているわけで、こうしたコラムの公開を通じ、仕事に対する弊社の"姿勢"をご理解いただきたいというのが趣旨なのです。すなわち、資金も人員もネームバリューも無い一介のプロダクションが、"信頼"を得るための広報活動であるとご理解いただければ幸いです。
また、偉そうな"べき論"を数多く述べてきましたが、私自身がそのすべてを実践できているわけではありません。論じてきたものの中には、私自身が「こうなりたい」と考えている事、「こうすべき」と言い聞かせている事も多々含まれています。その点を踏まえて、お読みいただけると有難く存じます。
私が編集者として、ライターとして、あるいは経営者として常に心がけていることがあります。それは、"分からないことは素直に聴く"ということです。簡単なことのようで、これが意外と難しいのです。
私もかれこれ10年近く編集の仕事に携わっています。それなりに、この仕事に関する"知識"も持っているつもりですし、自らのノウハウやスキルに対する"自信"もあります。でも「ならば編集・執筆の世界を知り尽くしているか」と聞かれれば、そんなワケはありません。この業界には実に様々な事実やルールが存在し、私が知っている事柄なんてほんの一握りに過ぎないのです。
今でも取材や打ち合わせの席で、聞いた事もない用語や事実に遭遇することが多々あります。そんな時は、なるべく「それは何ですか?」と聴くように心がけています。(もちろん、話の流れからタイミングを逸することもありますが……)少々、恥ずかしい思いをすることもありますが、きちんと"Q"を出すことで、貴重な知識や知恵を蓄えられたり、やり過ごしてきた常識を補填できたりするのです。そんな絶好機を「無知ぶりを悟られたくない」という余計なプライドのために逸してしまうのは、何とももったいない話に違いありません。
とは言え、そんな私も "知ったふり"をして、話を合わせてしまうことが無いわけではありません。編集を始めた頃には何の迷いもなく実践できた"聴く"という行為を避ける背景には、長年の経験が築き上げて来た気負いがあるのでしょう。まったく情けない話です。
私は以前から、自らが"聴けない"理由について、"その分野の知識を持っているから""自信があるから"と考えてきました。でも最近、それは全くの逆であることに気付きました。すなわち、"聴けない"のは、自分自身に真の知識と自信が備わっていないからなのです。その分野に確固たる知識と見識を持ち、自信があるのならば、初めて耳にした用語を自らの常識の欠落とは思わないはずです。世の中には"部下に聴けない上司"がたくさんいますが、それは実力の欠如が成せる業なんだと私は思います。
一方で、素直な"Q"に対し、「そんな事も知らないのか…」と馬鹿にする人がいて、そんな態度が"聴けない"雰囲気を作り上げているのも確かでしょう。私自身は、絶対にそうした態度を取らないよう心がけています。"常識"なんてものは、人の立場や経験によって異なるわけで、自らの"常識"を他人に強要するのは、その人の世界観の狭さを露呈していることになるからです。
"互いの人格や立場を尊重し、分からないことは素直に聴き合う"
多くの人々がそれを実践するだけで、世のあらゆる組織や仕事は、もっと円滑に機能するではないでしょうか。
〔2004.3.1 弊社代表・佐藤明彦〕