一般論で語るのは危険だ
先日、長崎県の佐世保市で小学校6年生の女児が同級生を刺殺するという、誠に痛ましい事件が起きました。新聞やテレビも連日この事件を大きく取り上げ、先の「酒鬼薔薇事件」や「バスジャック事件」と同様、再び「少年の凶悪犯罪」が社会の一大関心事としてクローズアップされています。多くのコメンテーターが「体験の欠如」や「バーチャルな世界」の弊害を指摘し、テレビゲームやバイオレンスな映画・アニメ等の存在をその要因としてやり玉に挙げるあたりは、もはや「恒例行事」になっている感さえあります。
無論、私も最近の子どもに昔とは違う何らかの変化があることは否定しません。でも、こうした一般論の横行には、少々食傷感を覚えます。どうも、現代の少年像(あるいは少女像)の否定的な部分は、マスメディアが作り上げているような気がしてならないのです。
まず、少年犯罪の件数に関して言えば、ここ数年で急激に増えているワケではありません。法務省が発行する『犯罪白書』を見れば一目瞭然ですが、凶悪犯(殺人と強盗)の少年検挙人員は、ピークだった昭和20年代前半、あるいは昭和30年代中盤と比較して、約半分ほどに過ぎないのです。子どもの数自体が少なくなっている点を考慮しても、統計面で「増加している」とは到底言えません。確かに、平成9年度は前年比約1.7倍と「急増」しましたが、この不自然な急反発は、むしろ「取締りの強化」によってはじき出された数値と分析する方が正しいでしょう。すなわち、「少年犯罪が急増している」という一般論は大いなる誤解であり、統計学的にテレビゲームやインターネットを少年犯罪の遠因として指摘することもできないのです。
よくよく考えてみれば、私たちが現代の少年に対して感じている「異質的なもの」の多くは、テレビや新聞などのマスメディアによってもたらされているように思えます。身近な小学生や中学生と接する中で、異質的な「畏れ」を抱き、その原因がバーチャルな世界にあると確信できる大人が果たしてどれほどいるでしょうか。
今、世の中には危険な一般論が横行しています。「ズルを働く政治家」「モラルの欠如した企業」「マナーの悪い若者」「ITに弱い熟年層」「社会的常識の無い先生」……。こうしたキーワードは、いわばマスメディアの「売れ筋商品」であり、テレビや新聞は事件という現材料を仕入れてはそれを巧みに加工し、次々と市場へ送り込みます。その結果、多くの人々が、自らの経験だけでは説明できない一般論を信じ込んでしまっているのです。
もちろん、それら一般論のすべてが虚像だとは言いません。モラルの無い企業が多いのは確かでしょうし、パソコンに弱い熟年層が多いのも事実です。ただ、一つの現象をピックアップして、「政治家はみんな○○」「最近の少年は××」などと、すべてを一般論で片付けるのは、いささか危険ではないかと思うのです。
今回の事件に関しても同様です。「騒ぎすぎ」というのが私の率直な印象で、事件の要因をチャットや掲示板などに帰結させようとしているのは、むしろマスコミ側の戦略のように思われます。まして「元気な女性が多くなった」などという見解は、失言というレベルにも達しない短絡的な一般論でしょう。
大切なのは、自らの目で実際に見たものを通じて分析することです。もちろん、テレビや新聞から流れてくるニュースを「すべて無視しろ」と言っているワケではありません。その両方をバランスよく取り入れ、一般論や経験則に偏重しない感性を築くことが、「情報過多」になりつつある現代において、特に重要だと思うのです。
〔2004.6.1 弊社代表・佐藤明彦〕