年齢的スタンダードモデル

060120.jpgとある評論家がこんな話をしていた。「みんな『こう生きなきゃ』って思ってるから辛いんであって、『こう生きるんだ』ってスタンスでいればいい。」なるほど、的を射た表現だなと思った。私たちは、少なからずモデル的・模範的な人間像と自分とを対比し、そのギャップにプレッシャーやストレスを感じているのだろうと思う。

20代には若々しさを、30代には卓越したバイタリティを、40代には相応の落ち着きと地位を…。それが、社会の求める模範的なサラリーマン像かも知れない。20代後半で結婚し、30代で子どもが生まれ、60の声を聞く頃には孫ができる…。それが、社会の求めるプライベート像とも言える。あるいは、20代でシビック、30代でカローラ、40代ではスカイラインで50代ならクラウン…、なんて見方もあるかも知れない。

皆、そうした一般的モデルと自分を対比し、存在するズレを埋めようともがき苦しむ。逆に、そうした枠組みを超えた存在に、不快な感情を覚えることもある。IT系企業の若社長に妙な嫉妬心を覚える人がいるのは、年齢的な社会的スタンダードモデルが存在するからに他ならない。

私自身は、はっきり言って、こうした年齢的呪縛が大嫌いである。別に20代の社長がいてもいいし、30代のADがいてもいいし、40代の大学生がいてもいいと思う。問題は現状の自分が「やりたい事」をできているかどうか、あるいは生き方にきちんとした「文脈」があるかどうかだろう。