批判の矛先は

060124.jpgライブドアの堀江貴文社長ら4取締役が、証券取引法容疑で逮捕された。株価の作為的な吊り上げにより、何十億円という利益の享受したというのが、容疑の大筋である。資本主義社会の抜け道を猛スピードで走り続けてきた彼らがその行為を違法だと認識していたかどうかは定かでないが、違法行為は違法行為。弁明の余地はなかろう。この点は、少女買春をして「年齢を知らなかった」では済まされないのと同様、きちんとした裁きを受けるべきであろう。

その点を断った上で、今回の一連のマスコミ報道と世間の反応には、多分に不健全なものが含まれているような気がする。多くの新聞・テレビが、堀江氏個人に焦点を当て、彼の生い立ちや企業から「IT長者」に至り、今回の失墜するまでの「夢散物語」を紹介している。そして、それを視聴する多くの人々も、彼の都落ちに妙な安堵感を覚えているように思う。その構図は、猪突猛進に何かをやり始めた人間が失敗すると「ほれ見たことか」と、傍観者側が鼻で笑うのと何となく似ているように思う。

昨晩、私は新宿にいたが、駅前では「堀江社長逮捕」の号外が威勢良く配られていた。その号外を手にしたサラリーマン風の男が、「よっしゃ!額縁に飾るぞ!」と大きな声で言い放った。周囲の仲間も、その言葉に喝采を送った。私の頭の中に、ふと「彼らは本当にライブドアがどんな罪を犯したのか理解してるんだろうか」という疑問が浮かんだ。

大切なのは、堀江氏個人を非難する前に、ライブドアが犯した罪の中身を理解することである。そして、なぜ時価総額1兆円近い企業がそんな違法行為をするに至ったのかを検証し、今一度我々が住む資本主義社会の構造を考え直すことではないかと思う。堀江氏個人の凋落を見て、独りよがりな安堵感を覚えている場合ではない。

comments

最近タイトルに出てきた「全能感」や「年齢的スタンダードモデル」のお話にも関連して。
最近わたしは「思えばかなう」という命題について考えています。
ホリエモンは「世界一になることは既成事実で、現在はその進行途中」といっていたと、新聞記事で読みました。
先日ある小学校教諭から「学年始めに『こういうクラスにする』というビジョンを子どもに話すと本当にそうなる」と、聞きました。その先生は「成功者はみな、そうなると信じていたから成功した」ともいいます。
わたしは全能感に縁がなく、成功を意識して何かをした経験もないのですが「やってみようか」と、この話を聞いて思ったのです。何だか魔法みたいで面白いでしょ?
ホリエモンが凋落したことはともかく、そこに至るまでに彼が自分にかけた「魔法」の虚と実、毒と恩恵に興味があるのです。

seamoonさん、初コメントありがとうございます。とても嬉しいです。目標の達成には、確固たる決意とその実現に向けたプランニングが何より大切、というのが私の持論ですが、なるほど「思えばかなう」ということも一手法なのだなと思います。言葉は適切かわかりませんが、ある意味の自己暗示みたいなものですかね。そういえば、私の身近にも自己暗示で着々と夢を現実に変えてきている人がいます。かなり説得力がありますね。