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先日テレビを見ていたら、ある会社の社長がこんな話をしていた。「社長自身が毎朝早く時間通りに出勤することで、社員に『自分もちゃんとしなくては』とプレッシャーをかけることができる。会社にはそんな緊張感が大切。」なるほど、もっともな意見だなと思った。
一方でこんな話をしていた社長もいた。「社長があまりきちんとし過ぎると、従業員が固くなってしまい、独創的な発想ができなくなる。トップは、多少なりともいい加減な方が良い。」同じく、なるほどと納得してしまった。
要は、どちらも間違いではないが、正解というわけでもない。結果としてどちらがうまく行くかも、ケースバイケースであろう。
ただ何となく、二人とも自分の性(さが)を言葉という道具で正当化しているのではないか…との印象を抱いた。時間に厳しい人間もルーズな人間も、理屈を駆使して「自分は正しい」と言い張ることで、自分という存在の価値を高めたり、弱さを隠しとおしたりできる。人間の言葉は、実は自分という存在を正当化するための道具として在るのではないか。テレビを見ながら、ふとそんなことを感じてしまった。
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