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タイトルを見ただけで思わず顔をしかめてしまう人も少なくないと思うが、傍らから煙たそうに眺めているだけというのも気がひけるので、とりあえず読んでみることにした。藤原正彦氏著の「国家の品格」である。後半の「日本人の美意識」や「武士道精神」の話はかなり食傷感があったが、前半の「論理」について書かれた部分は、予想に反して(?)、実に面白かった。
藤原氏曰く、「論理」とは「AならばB」「BならばC」と「ならば」で導かれる結論とのことで、この公式が長ければ長いほど、話した側の人間は「達成感を得られる」という。だが、最終的に「Z」まで行って結論が出たとしても、
(1) 「ならば」のつながりの信憑性が「100%」ではなく、「90%」だったり「80%」だったりするから、「Z」まで掛け算すると、結論の信憑性は限りなくゼロに近くなってしまう
(2) そもそも出発点の「A」が論理的ではない
などの理由により、「論理」によって正しい結論は導かれないという。藤原氏は、「『人を殺してはいけない』ということも、論理では説明できない」と言う。
こうした話を「数学者」という、いかにも論理的な職にある人が書いている点が、実に興味深かった。いや、数学者だからこそ、数学のような公理に拠らない「論理」の曖昧さを、誰よりも感じ取ることができるのかもしれない。
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