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講談社の発行した『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)が引き金となり、とある精神科医が起訴される事件が起きた。この書籍は、昨年6月に起きた「奈良医師放火殺人事件」を題材に描いたもので、あるジャーナリストが殺人を犯した少年や関係者を取材し、その顛末を描いたものだという。中身を読まずにこんな事を言うのは失礼な話かもしれないが、まずもってタイトルに少々嫌悪感を覚えてしまった。
医師が逮捕されたのは、筆者に少年の供述調書のコピーを見せ、職務で知り得た秘密を漏らしたことが、刑法の「秘密漏示」に該当するとのことである。なるほど、分からないでもないが、一方で取材した側が嫌疑不十分として不起訴となっている点を考えると、少々不公平感がないわけでもない。秘密を「掘り出そうとした側」と「掘り出された側」のどちらの非が重いかと言えば、私は「掘り出そうとした側」だと思う。
私も仕事を通じて、学校の先生等から「職務上でしか知りえない秘密」を教えてもらうことがある。それをどこかに公表しようという気はさらさらないし、もし私が平気で暴露するような人間だったら、きっと周囲も真実を話してくれないに違いない。一冊の本の発行が、刑事事件に発展することもある。報道する側の「責任」の重さを痛感させられる事件だと思った。
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