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試練のとき

080206.jpgここのところ仕事で色々と辛いことがあり、心がささくれていたので、昨晩は本間氏を誘ってしゃぶしゃぶに行った。…と、ここでまた一つ、ショックな話を彼から聞かされ、深酒になってしまった。宴が終わったのは午前3時半。精神的なダメージも大きく、翌日はスタッフに謝って午後からの出社とさせてもらった。恐らく、前日の酒が理由で会社に遅れたのは、初めてではないかと思う。

自分の好きな言葉に「熟慮断行」という四字熟語がある。熟慮に熟慮を重ね、最後は必ず実行する。そんな人間でありたいと考えている。大切なのは「熟慮」のプロセスで、ここを疎かにしない限り、実行の結果が大きく期待を裏切ることはないと私は考えている。

だが、今回の一件は、いくら「熟慮」を重ねても答えが導き出せない。ひょっとしたら、人間という小さな存在には変えることのできない、運命ともいうべき巨大な渦が、自分を飲み込もうとしているのだろうか。きっと自分という人間が試されているのだろう。色々な意味で「試練」のときかもしれない。

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comments

私自身、人生には答えの出せないことがあることを、ここ数年で実感しています。そして「時が解決してくれる」と友人に何度励まされたことか・・・。そして一人で抱え込まず、何かあったときには誰かに甘える、弱音を吐く、乱れる勇気も必要かもしれません。

試練だと思うのならば間違いなく「試練」ですね。どうしようもなく苦しいのかもしれません。人に甘える、弱音を吐くということはとても勇気のいることですよね。そしてとても難しいことのように思われます。カゲヤマさんのおっしゃるとおり時が解決してくれるものだということは間違いないと思います。ただ、きついのでしょうね。一つ言えることは乗り越えられない問題はその人に起こりえないということです。起こるべくして知るべくして知ったことなのでしょう。きついでしょうが今日は旧暦の新正月です。何とかなります!

kageyamaさん、慰めの言葉の数々ありがとうございます。「時が解決」という言葉、実はあまり好きじゃないんですけど、今はそれに頼りたい気分です。弱音を吐く、甘える勇気というのも、確かに必要ですよね。私に足りないところだと思います。

銘子さん、まだブログ見ていてくださったんですね。感謝感謝です。
「乗り越えられない問題は、その人には起こりえない」ですか。なるほど、そういう考え方、とても好きです。大切なのは、そこから逃避せずに、事実と真剣に向き合うことなんでしょうね。それでこそ、「時」が解決してくれるのだと思います。

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