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小学生の頃、よく熱を出して学校を休んだ。一度熱を出すと、たいてい体温は38度台後半まで上がり、強烈な悪寒と頭痛、関節痛が容赦なく身体を襲った。朦朧とする意識の中、自分の身体の虚弱さを恨み、母に「だから無理しちゃダメだって言ったでしょ!」と辛く当たられても、優しく看病されても、とめどなく悲しさばかりが心の中に注ぎ込んだ。そんな事が月に1~2度はあり、楽しみにしていた遠足や学校行事にも参加できないなんてことが、小学校時代の私には珍しくなかった。
「死」というものの存在を知ったのは、小学校3年生くらいの頃だったかであろうか。自分という存在、意識は消え去り、楽しいことも、悲しいことも感じなくなり、空気のような「無」の空間へと自分が同化していく。そんな現実に強烈な恐怖心を感じ、眠れない日が続いた。このまま眠ってしまったら、永遠に目が覚めないんじゃないだろうか。熱が上がった夜は、そんな考えが幾度と無く頭をよぎり、恐怖心と孤独感で涙が流れた。きっと、自分はそう長くは生きられないに違いない。小学生の私は、よくそんなことを考えた。
自分で言うのもおこがましいが、今の私は当時の病弱ぶりが嘘だったかのようにタフで頑丈になった。昨年は年間3日しか休まず、寝食を惜しんで仕事に勤しんだにもかかわらず、ほとんど身体を壊さなかった。何がどう変わったのか、自分でもよく分からない。ただ「長くは生きられないかも…」なんて考えていた小学生時代を考えれば、今の私は幸せすぎるくらいの境遇にある。生きていれば、辛いことは山のようにある。でも、そんなことは些細なことに違いない。自分が生きているということ、日々笑い、喜び、怒り、悲しむことができる現実に、感謝すべきなのかもしれない。
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