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誤用の一般化

080725.jpg今日の朝日新聞に、文化庁の「国語に関する世論調査」の結果が載っていた。記事によると、誤解して覚えている人が多い言葉として「憮然とする」「檄を飛ばす」「議論が煮詰まる」などがあり、中には7割以上もの人が誤って覚えているものもあったという。

確かに、私も本に携わる人間だから偶然知っていたが「憮然」は「腹を立てている様子」、「檄を飛ばす」は「活気づける」と覚えている人は多いに違いないし、そうした使われ方に対し、ほとんどの人が違和感を覚えないであろう。

ふと思ったのは、7割以上もの人が「檄を飛ばす」を「活気づける」と覚えているのに、果たしてそれが間違いと呼べるのかどうかという点である。

例えば、「的を得た」は、今やほとんどの人が普通に使うし、むしろ「的を射た」で使う人の方が少ないように思う。

「一所懸命」の変化した「一生懸命」や「不言実行」のシャレで派生した「有言実行」が、今や普通の日本語となっていることを考えても、言葉が進化するのはごく当たり前のことで、もはや「檄を飛ばす」も「活気づける」の方が正しいという見方もできなくはない。

もちろん、「名誉挽回」を「汚名挽回」と間違えるのは、熟語のつながりとして誤っているので認められないとは思うが・・・。

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