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今、仕事の関係で「読書」について調べているのだが、資料として購入した本の中に、興味深い話が載っていたので紹介する。「読書の歴史」というアルベルト・マングェル氏の本なのだが、文字が発明されてまもなく、古代エジプトではこんな話があったらしい。
ある日、王の元を訪ねたテウトは、文字について「これこそ人に記憶と知恵を生み出すもの」と紹介した。しかし、王は次のように答えた。
「もし、人々がこれを習得すれば、きっと彼らに忘却を植え付けることになるであろう。文字を頼って記憶力を鍛えることをしなくなるのではないか」
まるで、現代のパソコンや携帯電話に浴びせるような批判を、文字というメディアにぶつけている点が、実に面白い。さらに王は、次のようにも話している。
「それ(文字)は、知恵のように見えるみせかけに過ぎない。彼らに多くの事柄を伝えたところで、彼らは多くのことは知っているけれど、何も分かっていないということになってしまうのではないか」
ちょっと分かりにくいので説明を加えると、「文字」を通して知識を得ても、自らの経験や思索の中から得たものではないために、本質を理解しないまま分かった気持ちになってしまうのではないか、ということである。本で読んだ知識を、あたかも自分の知恵として話すような人間が増えるのでは・・・という心配であろう。
なるほど、いかなる時代も新しいメディアが発明される時には、相応の批判があるのだなと感じてしまった。今の時代、読書が悪いことだという人間は、まずもっていない。だが、日本でも明治時代まで、文学が「低俗な遊び」と捉えられていたことを考えれば、いずれテレビや携帯も、学校教育などで積極的に取り組まれる時代がくるのかもしれない。
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