自動筆記やってみました

手の内にある緑色の櫛は2本ばかり先端がかけてジェットコースターのごとき優しさに満ち溢れているけれども、それはゴリラが団子を地面に落とした悲しみに匹敵はしない。黒い塊が空から逆上しながら落下するが、幼稚園児はいともたやすく母親の股をくぐりぬけコンビニへスライディングする。飯田橋の果てには油っこいパンと定規がひらひらと舞っているけれども、ボールペンでつきさせば割と安く洗濯をすることができるのである。そういえば親友とはもう何年も会っていないが、ただしあなたがハードルを飛び越えるとき、彼から1通の手紙が来るのかどうか。よくみるアニメは毎週夜中に放送していて、スローモーションになった猫は画面の中から一向に姿を消そうとしない。ただ老人の腕には血管が浮き出ていて、それは500キロ先にある錆びれた田舎町へと続いているのだ。本当か。ウソよ。しかしその先にあるのはただ1つのきゅうり。

澤田です。のっけから全く意味の分からない文章を書いて申し訳ございませんでした。前回、堀野が『企画もの』というカテゴリーを立ち上げ、なにやら面白いことをやっていたので、私も触発され、考えた結果でてきたのがアレ↑↑↑

これは、シュルレアリスム思想の開祖であるアンドレ・ブルトンが考案した『自動筆記法』によって作成された文章です。自動筆記法とは、文法、意味、論理性、審美性など、文章を書く上で必要とされる成分をことごとく排除するため、意識の介入が及ばないほど、ただひたすらに超高速で文字を綴っていくという実験的芸術の1つです。アンドレ・ブルトンは、著書『シュルレアリスム宣言』において、この手法を用いて執筆した『溶ける魚』という作品を発表しています。

と、語ってはみたものの、それほどシュルレアリスムに造詣が深いわけでもないので、単なる無茶苦茶な文章になってしまいました。(しかし偶然性を求めるなら、それが最も好ましいのか…?)この自動筆記法については、当時から批判があったようで、言語化して文章に起こすという作業自体が意識的でなければ不可能であるという点から、超高速で文章を書いたところでフロイトの『無意識世界』を表出することはできないだろうということです。確かに、上記の文章をよく見れば、ところどころ歌の詞のような定型句が入っていたり、文脈を生成しようとしている痕跡が…。先入観を排し、“あるがまま”の状態になることは、恐ろしく難しいということでしょうか…。まあ「超マッハで書いたら超ウケる文章できたんですけど?」みたいなノリで書くのが、最も健全で良いのではないでしょうか。800字を8分で書く、といったように、時間的制約を設けてトライすると、自我を超越した領域にたどり着けるらいしいですよ。

ちなみに上記の文章(383文字)に要した時間は、約4分。もしこのペースで、いま仕事で書いている資料集10,000字の文章が作成できれば、1時間半弱で書き終わるという計算になります。
史上最強のライターの誕生ですね。

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