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澤田です。本当にどうもすみませんでした!!と、のっけから謝っておきます。なぜならば、この3ヶ月間、私のブログ記事には、寄生虫やら牛久大仏やらジェイソンやら高田純次やらうなぎパイやら隣りに住む芸人がうるさいやらと、まるでロクでもないことしか書かれていないことに、ようやく気付いたからです。いや、自分でも薄々気付いていたのですが、「会社のブログなのにいいの?」という友人からの最もすぎる指摘に、ようやく現実を直視する気力が湧いたというのが実際でしょうか。ともかく、最初の記事に書いた言葉に反せぬよう、これからはちゃんと仕事してるっぽいことを書いていきたいと思います!!(注:その日の気分によります)
さて、CUEです。遠い昔、記事を作成するにあたって、どのように取材を行うかということを簡単に書かせていただきましたが、覚えてる方はいらっしゃいますでしょうか…。(2007年6月のカテゴリーの中に記事があります)今回はその続編として、いよいよ執筆の作業について紹介させていただきたいと思います。
記事を執筆するにあたって、重要なことは3つ(だと思います)。まず「わかりやすい文章であるかどうか」、次に「正確な情報を記載しているかどうか」、そして「自分の意見や感情がちゃんと抑制されているかどうか」ということです。
「わかりやすい文章であるかどうか」ということは、もはや説明するまでもないと思います。文法が適切であるかどうか以外にも、難解な語句をできるだけ使わない、センテンスはなるべく短く簡潔にする、起承転結などの文章構成をしっかり組み立てるなど、パズルのように文章を構築していく感覚は、結構楽しいものがあります。また「正確な情報を記載しているかどうか」ということも、商品としての本を作っている以上、最低限守らなければならないルールと言えるでしょう。インターネット上にある情報はもちろん、実際に取材して得た情報も、提供者側との“意思の誤差”が生じているケースがあるため、密に連絡を取り合うなど、配慮を怠ることはできません。
そして「自分の意見や感情がちゃんと抑制されているかどうか」ということですが、これは読者の側に立って考えると納得しやすいのではないかと思います。少々極端なことを言えば、読者の方は書き手自身の意見など全く求めてはいません。読者の方にとって重要なのは、本に記載されている情報がいかに自分にとって役に立つのかということであり、ライターの仕事は、その情報をできるだけ正確に、分かりやすく伝えることにあります。(小説など文芸誌の場合は別ですが…)下手に(巧妙に?)自分の意見を文章に織り交ぜてしまうと、読者の方に誤った認識をさせてしまうといった、申し訳ない事態になりかねないのです。
ただし、全く独自性を取り除いた文章が最高かというと、そうでもないような気がします。(というか、そのような文章を書くことは不可能でしょう)簡潔に表現するならば、CUEの独自性は「文章」ではなく「文脈」に存在すると言えるのではないでしょうか。例えば、同じ事件を取り上げて記事を書いているのに、新聞ごとに異なった印象を受けることがあるのは、新聞各紙のフォーカスする箇所が微妙にズレているからでしょう。どの記事を一面に持ってくるか、あるいは削除するかといったことは、それぞれのニュースバリューによって判断されますが、その価値基準は各紙によって異なるため、取捨選択の連続によって、紙面にある特性(匂いみたいなもの?)が生まれるのです。そのような「視点」と「価値基準」の違いは、紙面全体に「大きな文脈」を生み出し、結果として同じ事件を扱っていても各紙の独自性が保たれることになるのではないでしょうか。
この「視点」の問題は、文章を書くことを生業とする上で、一生ついてまわることのような気もしているので、また体力と気力がある時に、しっかり考えることができたらいいな、と思っています。
あ……CUEのこと忘れてました…
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