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最近、仕事で「待つ」ことが多い。
例えば、ライターさんに発注した原稿。もう一方では、原稿を提出したクライアントからのフィードバック。
一冊の雑誌や本をディレクションするということは、そのキャッチボールが円滑に行われるための手助けをすることではないだろうかと、最近実感するようになった。
実を言えば、私は「待つ」のがあまり得意ではない。心配性なのか、気が短いのか、ともかく「待っている」という状態にストレスを覚えることは否めない。やや飛躍した言い方をすると、古いアドベンチャー系の映画などで、主人公が敵の罠によって密室に閉じこめられ、一方の壁がゆっくりと眼前に迫ってきて押しつぶされそうになるといったシーンがあるが、ちょうどあんな感じだ。迫りくる壁(締め切り)から逃れるためには、自分を遮る壁を乗り越える、あるいは自らの力で動かさなければ打開策は見出せない。
考えてみると、仕事というのは実のところ「信頼関係」や「希望的観測」といったファジーなものを土台として成立している部分が大きい。企画が通るかどうかも「クライアントの虫の居所」や「提出のタイミング」によって左右されるだろうし、「その場の雰囲気」によって仕事の能率や成果も違ってくるだろう。
それは振り返って考えてみれば、こちらから仕事を任せたライターの方々が、より効率的に安心して作業を進められる環境づくりをどれだけ行えるか、という部分にディレクターの真価が問われるということだと思う。作品と直に1対1(作品と作者)の関係性しか経験してこなかった私にとって、そのことは今後の課題であるとともにモノづくりの新しい視点を習得するためのチャンスなのかもしれない。
(澤田)
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