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大学時代に読んだ本の中に、数十人のAV女優にインタビューを行い、その半生をルポルタージュ形式で描いているものがあった。
その中の一つに、ある女優に対して、過去に交際していた男性について質問している場面があった。その女優は、過去にものすごく好きだった彼氏に自分から別れを告げたことがあるのだという。「どうして?」と訊ねる著者に、彼女はこう答えた。
「ごはん粒を残すのが許せなかったから。」
彼女は、茶碗に数粒のごはんが残されているのを見ると、虫酸が走ってどうしても我慢できないのだという。「まぁ、そういうものか」と、単純に私は理解した。だが、中学・高校と窃盗や傷害などの事件を繰り返し相当荒んだ青春時代を過ごしたというその女優の半生が明らかになるうちに、私はあるもどかしさを感じはじめた。彼女が、過去の犯罪行為について事もなげに語ってみせるからというわけではない。人を傷つけるよりも「ごはん粒を残す」という行為のほうが、よっぽど重罪で許されないことだと感情的になって語る彼女の価値観が、私にはよく理解できなかったのである。
半年前から、私は仕事で「子ども虐待」についてルポルタージュを書くようになった。色々な本や現場の人たちの話を聞くうちに、犯罪に走る子どもたちの比較的多くが虐待を経験していることがわかった。そして、ふと想像したのだ。あの女優が「残されたごはん粒を見るとゾゾーッとする」のは、親から受けた暴力の記憶が蘇るからではないのかと。
これはあくまで想像の域をでないが、虐待を受けた子どもたちが、その後の人生で一般社会との“ズレ”に悩まされることは事実である。暴力によって形成された子どもたちの価値規範を形成しているのは、一般常識や倫理ではなく、圧倒的な恐怖の記憶だ。だからこそ抗いがたくもあり、社会に適応するためには多くの援助と時間を要する。
今回このテーマを追ったことで、虐待の全貌が明らかにできたとは全く思っていない。それだけこの問題の根は深い。当たり前だが、私が原稿を書いても、直接虐待されている子どもを救うことはできないのだ。だが、もしかしたら子どもを救う力を持つ人に事実を“伝える”ことはできるかもしれない。だからこそ、可能な限りありのままを書く、ということが私のすべき最も重要な仕事なのだろう。
澤田
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